石破政権は「大罪人」と記されるのか?人口政策と参政党躍進

予測

1.導入

現内閣総理大臣、石破茂。
過去、その姿は真面目で腰が低く、安心感のある宰相だと思う人も少なくなかっただろう。
だが、未来の教科書にはこう書かれているかもしれない。

「岸田・石破政権こそ、日本分断の淵源であった。
内乱罪に等しい大罪を犯した政権であった」

いまは冗談のように聞こえるだろう。
日本で内乱罪は過去に適用されたことがなく、「内乱罪の大罪人」などと歴史物語で出てこれば鼻で笑ってしまうほどだろう。

だが、歴史はしばしば、もっとも温厚に見せた為政者に「大罪人」の烙印を押してきた。

笑い話で済ませられるうちはいい。
だが、この国の未来を見渡したとき、果たしてそれは“笑い話”のままで終わるのだろうか?


2.現実

笑い話のようにも聞こえる「大罪人」話。
しかし、現実を見ればすでに日本は“人口移動の仕組み”を着々と進めている。

  • JICA(国際協力機構)によるホームタウン認定
     日本国内4つの自治体とアフリカ4か国を「ホームタウン」として結びつける試みが始まった。国は「移民政策ではない」と説明し、誤解だと火消しに回った。だが、住民の抗議は止まず、むしろ「移民反対」の感情があらわになった。
    摩擦の芽は、すでに表面化しているのだ。
  • 日印50万人交流計画
     日印両政府は、今後5年間で50万人以上の人的交流を目指す行動計画を策定した。「経済成長のため」「インドの活力を取り込む」という名目だが、50万人という規模は地方都市ひとつを丸ごと塗り替える数字である。
  • 日バ10万人MoU
     日本とバングラデシュは、人材交流促進に関する覚書を署名した。 文書には「今後5年間で10万人規模の受け入れ」と明記されている。これはもう“想定”ではなく、国家間で合意された約束なのだ。

これら三つの動きは、互いに独立した施策ではない。
「国際協力」「経済成長」「人材確保」という別々の包装紙をまといながら、
実際には同じ方向――大規模な人口移動の制度化へと向かっている。

偶然ではない。
すでに“条件”は揃いつつある。


3.歴史の教訓

歴史は繰り返す。
経済成長や国際協力の名目で始まった人口政策が、やがて分断や衝突を呼んだ例は数え切れない。

パレスチナ

19世紀末、ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ人は「労働移住」や「開拓」の名目でパレスチナに入植を始めた。
当初は小規模な農業労働者の流入であり、アラブ系住民との摩擦も限定的だった。

しかし、20世紀に入るとイギリスの「バルフォア宣言」によってユダヤ人国家建設が国際政治に組み込まれ、移民の数は急増した。
1930年代のナチス迫害を逃れた人々が大量に流入すると、アラブ人との対立は急速に激化した。

「土地を開発する」「労働力を確保する」という建前で始まった移住は、
いつしか「人口比の逆転」と「国家建設の野望」へと姿を変えた。
結果として、現在に至るまで数十年に及ぶ流血の紛争が続いている。

コソボ

バルカン半島の小さな地方だったコソボもまた、「人口移動」が火種となった地域である。
20世紀を通じてアルバニア系住民の流入と自然増加により、セルビア人との人口比は逆転していった。

ユーゴスラビア時代には「多民族共生」のスローガンのもとで、この変化は公式には肯定されていた。しかし現実には、セルビア人は少数派となり、宗教・文化・言語の違いが不満を募らせた。

1990年代、ユーゴスラビアが崩壊すると、コソボの独立運動が激化し、セルビアとの武力衝突へと発展した。その結果、NATOの介入を招き、最終的には「国家分裂」という不可逆の帰結を迎えた。

「共生」をうたった人口政策が、最終的には「分離」を生み出したのである。


これらは遠い世界の話ではない。
パレスチナもコソボも、最初から戦争を望んでいたわけではない。
どちらも「移住」「労働」「共生」といった前向きの言葉で始まった。
だが、人口構造の変化は政治と文化の基盤を揺さぶり、やがて火薬庫となった。

いま日本が歩み始めている道筋とまったく無縁ではない。
「国際協力」「経済成長」という美名の下で進む人口政策は、数十年後、笑えない未来を招くかもしれない。
それは、歴史は証明している。
人口の変化は文化と政治の基盤を揺さぶり、やがて国のかたちそのものを変えてしまう。
もちろん日本はパレスチナやコソボとは違う。だが“違うから大丈夫”と楽観していいのだろうか?


4.冷たい内戦としての未来

では、日本はどうか。
銃社会ではなく、宗派ごとの民兵も存在しないこの国で、パレスチナやコソボのような武力衝突が直ちに起きる可能性は低い。
だが、だからといって安心できるわけではない。

日本に訪れるかもしれないのは、「冷たい内乱」だ。

  • 地域での摩擦
     移民が集中する自治体では、治安不安や文化摩擦が現れるだろう。
     すでにJICAのホームタウン事業で抗議が噴出したことが、それを示している。
  • SNSでの分断
     「日本人か、それとも移民か」という二項対立がネット空間で拡散され、相互不信を増幅させる。
     言葉の応酬は現実の人間関係をも蝕んでいく。
  • 選挙という“戦場”
     やがて分断は投票行動にまで及び、「移民を容認する勢力」と「日本人ファーストを掲げる勢力」が激しく対立する。
     民主主義の枠内に収まっているように見えて、その実態は内乱に近い分断の恒常化である。

このとき、歴史家はこう書くかもしれない。

「石破政権こそが、冷たい内戦の淵源であった」と。

笑い話だったはずの物語は、冷たい現実の未来として立ち上がってくるのだ。


5.参政党の台頭

これに敏感に察知し、すでに旗を掲げている勢力がある。
それが「日本人ファースト」を掲げる参政党だ。

大政党が「国際協力」「経済成長」の名目で移民政策を推し進めるほど、その反動として「日本人の居場所を守れ」という声は強まる。このアイデンティティ不安の受け皿こそ、参政党が急速に支持を伸ばしている理由に他ならない。

冷たい内戦の時代において、「誰が大罪人として断罪されるか」ではなく、「誰が国民の不安を吸収するか」が政治の力学を決める。

そして、その力をいま最も獲得しつつあるのは、皮肉にも既存政党ではなく参政党なのだ。

参政党の台頭は、感情ではなく必然である。
移民政策が続く限り、現政権は叩かれ、この流れは止まらないだろう。

それを期待と見るか、不安と見るか。
判断は、私たち一人ひとりに委ねられている。

未来の教科書に「大罪人」と記されるのか。
それとも、それ以外になるのか――いま、日本はその岐路に立たされている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました