1.導入
「政治は誰がやっても変わらない」──そう口にする人は少なくない。
だが本当にそうなのだろうか。
もし、世界の指導者たちを入れ替えてみたらどうだろう。
トランプがドイツを率いれば? 金正恩がイギリスを支配すれば?
想像するだけで、国の姿はまるで別物に変わってしまう。
つまり「誰がやっても同じ」という言葉は、思い込みにすぎないのだ。
そしてこの視点は、変わらないように見える日本にも通じている。
2.もし世界の指導者を入れ替えたら
トランプ × ドイツ:EU秩序の崩壊

もしトランプがドイツの首相になったらどうなるだろうか。
「アメリカ・ファースト」ならぬ「ドイツ・ファースト」を掲げ、EUに背を向けるのは間違いない。NATOを軽視し、EUからの離脱──Dexitまでもが現実味を帯びる。
戦後ヨーロッパが築いてきた協調と秩序は、わずか数年で揺らぎかねない。
ヨーロッパ全体の安全保障が一変するだろう。ロシアや中国とも直接ディールを始める。
制度や仕組みよりも、一人の指導者の性格が国の方向を決定づけることを示す典型だ。
金正恩 × イギリス:民主主義の象徴が独裁に

世界最古の議会制民主主義を誇るイギリス。
そこに北朝鮮の金正恩を置いたら、どうなるか?
議会は解散させられ、古い王室は象徴ではなく「従属」の存在へと変わるだろう。
自由な言論は封じられ、軍事優先の国家へと急転換。
「民主主義の聖地が一夜で独裁国家に変わる」という寓話は、世界の価値観を根底から揺さぶる。
習近平 × インド:世界最大の民主主義が一党支配に

インドは「世界最大の民主主義国家」と呼ばれる。
もしそこに習近平が立ったら、どうなるだろうか。
急速なインフラ整備とIT監視社会が整えられ、選挙制度は形骸化。
実質的には一党支配体制へと移行する可能性が高い。
そのときアジアには「中国」と「もう一つの中国」が並び立つ。
米中対立は「米中印対立」に変質し、世界秩序は根本から再編される。
プーチン × 日本:「変わらない国」が最も変わるとき

そして、日本にプーチンを置いてみたらどうなるだろうか?
官僚機構・メディアを掌握して実質的な強権支配から長期政権を築くだろう。
憲法改正、日米安全保障の大転換、資源の国有化へ。
米国依存からの自立を打ち出し、中国やロシアとの距離を保つ。
始めは強いリーダーシップに国民も喝采するが、メディア統制や野党弾圧が進んだ果てには自由すら制限されている始末だろう。
「変わらない国」と言われてきた日本が、実はもっとも劇的に変わりうる国だったことに気づかされる。
日本は「変わらない」のではない。
変わる力は国民一人一人が、そしてそれに選ばれた指導者が備えているものなのだ。
3.まとめ
制度が人を縛る、しかし人も制度を壊す
ここまでのシナリオから見えてくるのは、政治は「誰がやっても同じ」ではないという事実だ。
確かに制度が人を縛ることはある。
アメリカのように三権分立が強固な国では、独裁者型リーダーが現れても制度が抑え込む。
逆に北朝鮮のような体制では、誰がトップでも独裁化せざるを得ない。
しかし、ロシアや日本のように制度の慣性が強くても、人物次第で国家の方向が大きく変わることもある。
制度と人物は「掛け算」の関係にあり、どちらが優位に働くかで国の姿は一変する。
日本は「変わらない国」か?
日本は「誰がやっても同じ」と言われる。
官僚機構と政党政治の慣性が強く、短命政権が続けば確かに大きな変化は生まれにくい。
だが実際には、長期政権や国難の時期には確実に大きく変わってきた。
- 安倍政権の長期化で安全保障政策は戦後最大の転換を迎えた。
- 東日本大震災や福島原発事故では、エネルギー政策が大きく揺れた。
- コロナ禍では医療・財政の仕組みが一時的に大きく変化した。
つまり日本は「変わらない国」ではなく、変わりにくいが、変わる条件を備えた国なのだ。
変わらない日本ではなく、変われる日本へ
「誰がやっても同じ」という言葉は、私たちが政治を諦めるための口実になりやすい。
だが、この世界の例え話的なシナリオを見れば分かるように、政治は人で変わる。制度でも変わる。そして日本もまた、その条件を内に秘めている。
政治は“誰がやっても同じ”ではない。
日本は“変わらない国”ではなく、“変われる国”だ。
その可能性を引き出せるかどうかは、私たち自身の選択にかかっている。
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