未来の子供たちに、属国を残すのか?──令和の不平等条約と日本の屈服

政治

「未来の子供たちのために」

増税のときも、年金カットのときも、財政健全化という言い訳をするときも、政治家は決まって、こう言ってきた。

「私たちの世代がツケを回してはいけない」
「次の世代のために、いま我慢する必要がある」

けれど、本当にそうだろうか?

2025年7月。日本政府はアメリカとの“貿易合意”の名のもとに、5500億ドル(日本円で約80兆円)という、対米投資を約束した。
これは消費税でいえば、およそ5年分に相当するとされている。

見返りは、25%に引き上げられる予定だった関税を15%に抑えてもらったこと。
つまり、「課されるはずだった制裁を回避できた」というだけの話だ。

そもそも、トランプが再登板するまでは、そんな関税は存在しなかった。
それを「成果」と呼ぶのは、「殴られなかったことを感謝している」ようなものだ。

しかも、差し出した投資の中身もおかしい。

投資先はアメリカが決める。利益の配分も「90%アメリカ」という報道がある。
日本側がどこに投資し、どんなリターンを得られるのか?明確な説明は何もない。

それでいて、使われるのは日本国民の血税である。

これは、明らかに不平等な取引だ。
それでも石破政権は、「外交成果」と胸を張っている。

だから、わたしは問いたい。

未来の子供たちのために、80兆円を差し出して、主権のない契約書にサインすることが、あなたたちの言う“未来”なのか?

わたしは、これを「令和の不平等条約」と呼ぶ。


1.何を得て、何を差し出したのか?

今回の”合意”で日本が得たものは、アメリカが課す予定だった関税25%を15%に抑えてもらったという一点に尽きる。
対象は日本車や部品、電機・精密製品など。

一見すれば「譲歩を引き出したように見える」が実態は違う。

そもそもこの関税は、トランプが勝手に持ち出した“爆弾”にすぎない。
元々なかった関税を「課すぞ」と脅され、それを回避するために
80兆円もの投資を差し出す

これは、成果どころか脅しに屈した証拠だ。

しかも問題は、その「代償」の中身だ。

日本が約束したのは、アメリカ国内の半導体、製薬、エネルギー、船舶、防衛などのインフラ・産業強化のための巨額投資
それも、日本が主導して投資先を決められるわけではない。
アメリカが建てたいものに、日本が金を出す。それが合意の本質だ。

さらに、利益の配分は「90%アメリカ」になるとの報道もある。
これが事実なら、日本は資金だけを出すスポンサーであり、経済的な見返りすら期待できない。

こんな取引を、外交交渉の“成功例”と呼ぶべきだろうか?
常識で考えても、あり得ない。

それでも日本政府は、これを「うまくやった」と主張している。
だとしたら、その感覚こそが、もはや従属そのものなのではないか。


2.なぜ“成果”と報じられるのか

石破首相や交渉責任者の赤沢氏は、この合意を「大きな成果」だと口をそろえた。
ニュースでも「関税の引き下げを勝ち取った」「日米関係が安定へ向かう」など、まるで外交勝利のように報じられている。

けれど、何を勝ち取ったというのか?

アメリカが一方的に突きつけてきた“脅し”を、お金で回避しただけだ。
それを成果というなら、カツアゲされて金を差し出し、「殴られなかった」と感謝しているのと何が違うのだろう。

そもそもこの関税は、アメリカが「アメリカに輸入される日本製品」に対して課すものだ。
つまり、日本企業がアメリカに商品を売るときに、アメリカ国内で支払う税金である。

言ってしまえば、アメリカの内政の話だ。
それを「回避したいなら金を出せ」と迫られ、日本政府が「それなら5500億ドル投資します」と差し出した。

こんな寝ぼけたことが、まかり通ること自体が異常だ。

関税はアメリカ政府が決める政策であり、本来なら交渉の対等な材料として使うか、何もしないという選択肢すらあったはずだ。
なぜアメリカの内政問題に、日本政府が“交渉の形”で関与する必要があったのか。

これはもう、逆内政干渉とでも呼ぶべきだ。
他国に干渉されたのではない。自ら出向いていって、「投資しますから許してください」と頭を下げ、
その見返りに主権を差し出した。

WTOへの提訴、対抗関税、第三国との連携──やりようはいくらでもあった。
だが日本政府は、最初から「譲歩する」前提で交渉に入っていた。

結果として、脅された側が、自ら財布を開いて、屈服を“成果”と呼んだ。
これを「成果」と呼ぶことこそ、最大の敗北ではないか。


3.歴史に照らす―――これは令和の不平等条約だ

この合意を見て、わたしは自然と明治時代の「不平等条約」を思い出した。
1858年、日本はアメリカとの間で日米修好通商条約を締結。

これを皮切りに、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと相次いで結んだ「安政五か国条約」によって、日本はこうして国際的に半独立状態に置かれた。

内容を簡単に挙げれば―――

  • 関税自主権の喪失:輸出入の税率を自国で決めることができなかった
  • 領事裁判権の承認:外国人は日本の法律では裁けなかった
  • 一方的な最恵国待遇:他国に与えた特権は自動的に欧米列強にも適用された

つまり、経済も司法も外交も、自分で決められない国だった。

当然、この「不平等条約」は国内で強い反発を生んだ。
「尊皇攘夷」や「倒幕」へとつながり、近代日本の形成そのものが、この屈辱への反動だったとも言える。

そして、条約の改正には40年の歳月がかかった。
富国強兵、中央集権化、議会制度の導入──その全てが、「対等な交渉国として再びテーブルにつくため」の努力だった。

では、令和の今、その日本政府はいったい何をしているのか?

自ら5500億ドルの“対米投資”を差し出し、何に使われるかも、利益がどう配分されるかも説明せず、アメリカの内政に頭を下げ、主権を手渡しながら、「成果だった」と胸を張る。

これを不平等条約と呼ばずして、何をそう呼ぶのか?

かつての日本は、力がなかった。だから不平等だった。いまの日本は、自分から進んで不平等を選んだ。

前者は「敗北」、後者は「服従」だ。どちらが深い屈辱かは、言うまでもない。

これは「令和の不平等条約」である。
そしてそれは、将来の世代が背負わされる「ツケ」として確実に残る。


4.これは成果ではない、これは屈辱だ

5500億ドルを差し出して、日本が得たものは何だったのか。
アメリカが勝手に用意した制裁を、「回避させてもらった」という形だけの“免除”。

それを「成果」と呼んで、誇らしげに語る政府の姿に、わたしは怒りを覚える。

本来、国際交渉とは対等なテーブルの上で行われるものだ。
だが、今回日本政府がやったのは、交渉でも合意でもなく──服従だった。

しかもその代償は、未来に残る借金であり、主権の放棄であり、そして何より、「自分で決める国である」という誇りの喪失だった。

これを成果と呼ぶなら、わたしはあえて言おう。

これは成果ではない。屈辱だ。

そして問いたい。

政治家たちは「未来の子供たちのために」と言いながら、その未来に「従属の契約書」を残すつもりなのか?

誰も、そんな未来を望まない。
わたしは、属国ではない。あなたはどうだろうか?

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